関東大震災と朝鮮人虐殺
1923年9月1日に起きた関東大震災は、死者・行方不明者が14万人を超える未曽有の大災害だった。
東日本大震災の死者・行方不明者数が1万8428人(2019年12月10日時点)であることを考えると、どれだけの大災害であったかが窺えるだろう。
当時の人々の恐怖とパニックは想像すらできない。
そして小学校や中学校の歴史の授業で必ず扱われるこの災害は、直後に起こった凄惨な出来事と共に語られる。
そう、朝鮮人虐殺だ。
この頃の日本には、1910年の日韓併合によって土地を奪われた朝鮮人とその家族が、仕事を求めて大勢移り住んでいた。
そんな朝鮮人たちが震災の混乱に乗じて暴動を起こしているというデマが広がり、数千人の朝鮮人が虐殺されたという。
この事件には、一般人のみならず官憲(当時の警察)までもが関わったと言われている。
当時はまだラジオすらない時代で、震災によって崩壊した都市では口頭で伝わる情報だけが「事実」だったのだ。
現代とは無縁の事件と言えるだろうか?
「正しい情報が手に入れば、たぶんこの悲劇は防げたと思います」
歴史の授業で先生はそう話していた。
ラジオが普及していて行政からの情報が正確に伝わっていたら、暴動が事実でないことが分かっただろし、そもそも「暴動が起きた」なんてデマも生まれなかっただろうと。
その時の僕は、「確かにそうだよなぁ、今ならテレビでもネットでもちゃんと情報が伝わるもんなぁ」なんてぼんやり考えていた。
でも本当にそうだろうか?
正しい情報が伝われば、人は正しい行動がとれるのだろうか?
東日本大震災と風評被害
東日本大震災の原発事故を思い出してほしい。
放射能漏れで福島県産の野菜やコメが売れなくなり、「風評被害」という言葉がニュースで話題になった。
当時、政府や行政が科学的なデータに基づいて「危険はない」と何度も説明しても、「自然界の数値を大きく超えている」という事実ばかりが注目されていた。
実際、自然界の数値と比べればはるかに高い数値が出ていた。
しかし、食品の安全基準値よりはるかに低い数値だったのもまた事実だ。
そしてテレビ、Twitter、YouTubeなど、様々なメディアで福島県産の農産物の放射能の話題が取り上げられ、「科学的な危険はないから食べても問題ない 」という情報は多くの人が耳にしたはずだ。
それにも関わらず、現在に至るまで福島県産の野菜や米の売り上げは低下したままだ。
恐らく、科学的なデータや数値でいくら「安全だ」と言われても、目に見えない脅威に対する人間の不安は簡単には払拭できないということだろう。
つまり、情報伝達の手段が充実し、リアルタイムで正しい情報が発信される現代でも、不安に駆られた人間は必ずしも合理的で正しい行動をとれるとは限らないということだ。
熊本地震とライオン脱走
東日本大震災の放射能問題は、正しい情報があっても人々が合理的で正しい行動ができるとは限らないことを示すいい例だ。
では、この事件からは何が学べるか?
2016年に発生した熊本地震の際、「動物園からライオンが逃げた」というデマがTwitterで拡散された。
市街地に立つライオンの画像を載せたこのツイートは、2万回以上リツイートされたという。
こちらの記事によると、2万リツイートされることでインプレッションが400万を超えることもあるようだ。
リツイート数だけでは一概には言えないかもしれないが、たった一人の人間が発した嘘が、400万人以上の目に触れたかもしれないのだ。
当時もコメント欄には「デマだろ」「コラ画像(合成写真)だよこれ」という否定的なコメントがついていた記憶があるが、2万ものリツイートの中には本気で信じた人がかなりの数含まれているはずだ。
被災した人たちはTwitterどころじゃなかっただろうから、このツイートを見た被災者はそれほど多くないかもしれない。
しかし、大災害に見舞われてパニックに陥りながら、「少しでも情報を」と思って開いたTwitterでこれを目にしたら、果たして冷静でいられるだろうか?
リアルな画像付きで発信されたこの情報を、「いやデマだろwww」と冷静に判断するのは困難なように思われる。
ちなみに熊本地震の時に広まったデマはこれだけではなく、他にも様々なデマが広まったせいで、行政がわざわざ否定して回るという余計な手間がかかったそうだ。
もちろん、SNSの普及を批判するつもりはない。
SNSの普及によってテレビやマスコミのやらせや不正が判明したり、彼らが報道しない事実が世に知られるようになったというメリットもある。
SNSは間違いなく、これからの情報発信で中心的役割を果たしていくだろう。
一方でこの事件から学べることは、SNSの普及とその拡散性は単に情報の充実を意味するのではなく、受け手に求められるリテラシーが高くなっていることも意味しているということだ。
それも、安全で快適な部屋にいるときだけでなく、生死を分けるような緊迫した状況であっても、だ。
情報が増えても人間の本質は変わらない
関東大震災直後の悲劇は、情報伝達の手段がなかったことが原因の一つかもしれない。
しかし、もしも当時ラジオが普及していたとしても、規模こそ違えど似たような事件は起きたのではないかと僕は思う。
東日本大震災や熊本地震の例からもわかるが、緊迫した状況下で人は冷静な判断ができない。
たとえ科学的・数値的に正しいデータを示されても、自分の中の不安が事実に勝り、その不安に基づいた行動をとってしまうのだ。
ちなみに明治時代にも熊本で大地震があり、当時も「山が破裂するらしい」といったうわさが広まっていたそうだ。
もしかしたら、人間は危機的な状況下に置かれると、不安を感じて最悪を想定し続けるという一種の防衛本能が働くのかもしれない。
とにかく、危険で不安な状況下に置かれると人々の間でネガティブなうわさが広まるのは今も昔も変わらないようだ。
まして現代は、ごく少数の人間が発する間違った情報に数百万の人が影響を受けかねない時代だ。
過去の出来事を、「技術の未発達が招いたこと」と切り捨てるのではなく、人間の本質的な部分はそう簡単には変わらないということを示す教訓として役立てていくべきだろう。
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