就職活動を始めたときからずっと悩んでいたことがあります。
”人生の目標”についてです。
自分で言うのもなんですが、僕は「それなりの高校」を卒業し、「それなりの大学」を卒業しました。
そしてこの春から「それなりの会社」に入社し、他人からみれば「それなりに順調な人生」を歩んでいます。
勉強は好きじゃなかったけど苦でもなく、授業にも受験勉強にもそれなりのモチベーションをもって勉強を続けた結果、高校も大学も第一志望に合格しました。
でも、振り返ってみると一度たりとも将来の夢とか目標とかを持ったことがなく、特にやりたいこともなりたいものもありませんでした。
日々目の前のことをこなすだけで、今やるべき勉強、今楽しむべき部活やイベントのことばかり考えていました。
だから大学3年生になって周りが就活だインターンだと騒ぎ始めたときも、全然将来のことなんて考えられませんでした。
仕方なく適当にインターンを探してみて、ミーハーにいろいろな業界のインターンに参加しました。
でも、どんなインターンに参加しても、どんな業界や仕事について調べても、まったくワクワクすることはありませんでした。
それはたぶん、「雇われて働く」ということがそもそも好きじゃないからなんだと思います。
「サラリーマンみたいな平凡な人生はごめんだ!」
みたいな中二的な理由じゃありません。
いや、心の片隅にはそういう気持ちもなくはないけど、人並に「特別な人生」に憧れている程度です。
僕がサラリーマンとして働くことに前向きになれない一番の理由は、
「会社に人生を握られている」
という事実にどうしても拒否感を抱いてしまうことです。
会社で働くということは、毎月の給料と引き換えに自分の時間(=寿命)を捧げるということです。
おまけとして福利厚生があったり、信用が保障されてクレジットカードが作りやすかったり住宅ローンが組めたりもします。
その一方で、日本では雇用が法律で強く守られている代償として、サラリーマンは転勤や辞令を拒むことができません。
サラリーマンとして働くということは、毎月の給料とちょっとしたおまけを得るために、住む場所すら自由に選べないということです。
これはサラリーマンとして生きる以上は誰でも同じで、どんな会社で働こうが、どんな高級スーツに身を包もうが、どれだけ高収入だろうが関係ありません。
そして毎月の給料やボーナスも会社の都合で減らされたり、仕事で成果を出しても必ずしも昇進や昇給につながらなかったり、上司に嫌われてあっちこっち転勤させられたり、色々なリスクがあります。
「サラリーマンのメリットは安定してること」なんてよく言われていますが、「安定」なんてものは決して存在しません。
サラリーマン生活を長く続けている人には心当たりが一つや二つあるでしょうし、近い将来、コロナショックの影響で多くサラリーマンが実感させられるはずです。
そういう現実を理解してしまっていたから、就活をしているときにどんな会社にも魅力を感じることができなかったんだと思います。
サラリーマンとして生きるということは、まさに生殺与奪権を会社に握らせるということです。
僕はこれを受け入れられませんでした。
「会社に縛られる生き方をしたくない」
心の中で富岡義勇が僕を叱っていました。
でも、将来のことなんてろくに考えていなかった僕は、起業する勇気もやる気もアイディアもなく、結局その他大勢の就活生と同じく
「御社ァァアア!御社ァァアア!」
と狂ったように企業に媚を売り、へこへこして、そうやって内定をもらうことばかり考えていました。
そして内定をもらったいくつかの企業の中で一番マシなよさそうな会社に入社することにして、また何も考えないで卒業までの時間を過ごしました。
☆ ☆ ☆
こんな言い方をしては不謹慎ですが、人生について、働くことについて真剣に考えるようになったのはコロナのおかげです。
コロナの感染が拡大したことで、サラリーマンの不自由さ、決して安定した身分ではない事、いざとなったら会社は平気で社員を切り捨てるという(当たり前の)ことを再認識できました。
サラリーマンとして働いているから
毎月の給料に依存して生きているから
感染症の脅威を分かっていても満員電車で通勤しなきゃいけないし、会社のキャッシュフロー次第で生活の質を下げなきゃいけなくなる。
本当に自由に生きたいなら、会社にも親にも友人にも、誰にも頼らずに自分で生きていけるお金を用意しなくてはならない。
つまり、自由に生きるということは
「経済的独立を果たすこと」
であると気が付いたんです。
僕は以前、本多静六の「私の財産告白」という本を紹介しました。
その中で本多静六は「経済的独立を果たすこと」の重要性を説いていて、僕はもちろんそれを読んでいました。
そして理解した気になっていました。
でも全然理解できてなかったんですね。
「働く」ということを我が身の問題として考えられていませんでした。
実際に社会人という身分になって、サラリーマンとして働き始めて、ようやく本多静六が言っていたことの意味が分かったような気がします。
本当に自由に生きたいのなら、経済的に独立するしかない。
働かなくても生活していけるくらいの資産を築くしかない。
☆ ☆ ☆
僕は今でも将来の夢とか、やりたいこととか、全然決まっていません。
”人生の目標”がないことは僕の中で大きなコンプレックスになっていて、夢や目標を語る人をテレビで見るたびに、なんだか居心地が悪くなります。
でも、こんな僕にもいつの日かやりたいことが見つかると信じていますし、それを探し続けようと思っています。
そのために、とりあえず今からできることは、いざ何かやりたいことができたときに「お金がない」なんて理由で諦めなくて済むよう、準備しておくことです。
僕の人生の目標は(とりあえず今のところ)
「経済的独立を果たすこと」
としておきます。
そして、そのために学んだことや実践していることを、たまに記事にしてみなさんにシェアできればと思っています。
もちろん、これまで通り本や映画やニュースを見て学んだこと・考えたことがメインテーマであることに変わりはありません。
このブログ、「ケンゾウの自習室」はもともと、学んだことをアウトプットして理解を深めるために始めたものです。
これからも僕自身の学びを深めるとともに、読者の皆さんにも役に立つ知識や学びを届けていければと思っています。
時間のある時にこの自習室を覗きに来てもらえると嬉しいです!
それではまた!