『山月記』のストーリーをわかりやすく現代風にしてみた

伊調秀一という優秀な男がいた。

 

地方の進学校を卒業後、現役で東大法学部に進んだ彼は音楽サークルに入った。

そこで組んだバンドでボーカルとして活躍し、YouTubeに上げた動画の再生回数が10万を超えたこともあった。

 

ルックスはとても爽やかでキャンパス内のちょっとした有名人であり、大学のミスターコンテストにもノミネートされるほどだった。

 

 

頭脳も優秀だった。

 

彼は音楽中心の生活を送っていたためそれほど勉強しなかったにもかかわらず、国家公務員の試験に合格して大学卒業後は都内で働き始めた。

 

しかし、採用された省庁は伊調の希望したところではなく、仕事もまったく面白さを感じないものだった。

頑固で協調性が低く、おまけにプライドも高い彼にとって公務員の仕事は苦痛でしかなかった。

 

 

ある時、大学の同級生たちと久しぶりに会う機会があった。

 

大手広告代理店やテレビ局、コンサルやITなど、各業界を代表する名だたる大企業や外資系企業でバリバリ働いている人がほとんどで、中にはすでに独立して自分の会社を立ち上げている者もいた。

 

伊調は、友人たちが刺激に満ちた面白い仕事をしていそうなことを羨ましく思い、また、彼らの年収が公務員の自分よりはるかに高かいことも羨ましかった。

 

伊調は彼らの近況を聞いて、自分の人生はこのままでいいのだろうかと思った。

 

毎日満員電車に乗って通勤し、ぱっとしない上司に頭を下げながらつまらない仕事をし、夜遅くに帰る。おまけに同じ大学を卒業した同級生たちよりはるかに給料は安い。

 

プライドの高い伊調にとって、この現実は受け入れがたいものだった。

 

俺はこんなもんじゃない。

 

俺は100年後にも名前が残るような人生を送りたいんだ。

 

考えた末に、大学時代にそれなりの実績を残せた音楽の世界に戻ることを決意した。

公務員の仕事はもちろんやめた。

大学を卒業して3年も経たない頃のことだった。

 

 

公務員をやめて再び音楽の世界に戻ったものの、結果は全くでなかった。

 

新しく組んだバンドで路上ライブに励み、毎日何時間も歌い続けたが、月収は公務員時代の半分にも満たなかった。

そんな生活を何年も続けていたが、結婚もせずに30代の半ばを迎えた息子を親も心配していた。

 

バンドを組んでいたメンバーもすでに音楽の世界から離れていて、伊調だけが路上でひたすら歌を歌っていた。

伊調自身、その生活をこれ以上続ける気力は残っておらず、仕方なく地方の公務員の仕事に就くことにした。

 

この頃には自分に音楽の才能はなかったというあきらめの気持ちも強くなっていたのだ。

 

 

しかし、久しぶりに大学や高校の友人たちのSNSをのぞいてみると、大学の同級生たちは年齢にふさわしいそれなりのポストについていたし、伊調が大学時代にFラン大学と見下していた大学に進んだ高校の友人たちも、すでに結婚して子育てと仕事で充実した生活を送っていた。

 

もちろん、再就職先ではかつて自分が低学歴とバカにしていた人たちが伊調より上の立場で仕事をしていた。

 

プライドの高い伊調はもちろんこの状況に不満を抱いた。

 

「なんでこの俺がこんな奴らの下で働かなきゃいけないんだ」

「俺はあいつらよりはるかに優秀だったんだぞ」 

 

伊調は全く仕事にやりがいを感じず、不満、嫉妬、後悔の念だけが心を埋めていった。

 

 

そしてある日、彼は発狂した。

 

出張先のホテルのロビーで突然叫びだしたかと思うと、カバンを床にたたきつけてホテルを飛び出し、どこかへ走り去っていった。

 

その後、伊調がホテルに戻ることも、職場に姿を現すこともなかった。

 

 

 

それから1年が過ぎたころだった。

 

厚生労働省に勤める遠藤平次という男が駅のホームに立っていた。

仕事でとある企業の重役と面会する予定があり、職場の最寄り駅から出発しようというところだった。

電車に乗り込むと、夕方より少し早い時間帯の車内は空席が多く、すぐに座ることができた。

 

面会に向けた準備のために資料に目を通していると、中年男性と思われる大きな声が聞こえた。

男はドアの近くのつり革につかまりながら、富裕層の税負担が軽いだとか、議員の給料が高すぎるとか、経済が停滞しているのは安倍政権のせいだとか、政治や社会への不満を大きな独り言でまくし立てていた。

 

遠藤は、この男がツイッターで話題になっている「アベ政治を許さないおじさん」なのだろうと思った。

 

肥満体系で、不健康そうな肌の色で、頭は小汚い禿げ方をしている強烈なインパクトの男が電車内で政治への不満をぶつぶつとつぶやく動画が出回っており、遠藤もその動画をみたことがあったのだ。

 

(まじか、、、こんなのと遭遇するなんて運が悪すぎる、、、)

 

遠藤の目的地の駅まではまだ10分ほど残っていたため静かな車両に移ることも考えたが、膝の上に書類を広げてしまっていたため、面倒になりそのまま無視してやり過ごすことにした。

 

しかし、中年男の独り言は止まらない。

遠藤が書類をチェックしている間もぶつぶつとなにかをつぶやき、時々感情が高ぶるのか、大きな声になることがあった。

 

嫌でも耳に入ってくるその声に、遠藤は聞き覚えがあることに気が付いた。

中年男の顔をよく見て、その声を集中して聞く。

 

間違いない、男は遠藤の大学時代の友人で、就職先まで同じだった男。

 

伊調秀一だ。

 

かつてキャンパス内で知らない人の方が少なかったほどのイケメンは、その面影をほとんど残さないほど顔も体もだらしなくたるみ、頭は清潔感のかけらもない、「散らかった」という表現がふさわしい禿げ頭で、眼だけが異様にギラギラしていた。

 

しかし、この声はまさしく、伊調秀一だった。

 

大学時代、一緒に授業を受け、週末には伊調がボーカルを務めるバンドのライブをよく聴きに行っていた遠藤が間違えるはずもなかった。

 

「伊調なのか、、、?」

 

遠藤は膝の上に広げた書類をカバンにしまって席を立ち、男に近づいて声をかけた。

すると男ははっとしたかの様に独り言をやめて遠藤の顔を見た。

 

「遠藤、、、」

 

遠藤は伊調にとって、国家公務員だったころの唯一と言ってもいい友達だった。

頑固でプライドの高い伊調にとって、穏やかで争わない性格の遠藤は相性が良かったのだ。

 

遠藤は伊調が失踪した話は聞いていたが、当然近況は知らなかった。

こんなにも見た目がだらしなくなり、電車の中で大きな独り言を言うような「やばい奴」になっているとは、夢にも思わなかった。

 

もちろん、どうしてそうなったのかなどと伊調に正面からは聞けない。

 

「今まで、どうしてたんだ、、、?」

 

ようやくでた言葉だった。

しばらくの沈黙の後、遠藤は語りだした。

 

「遠藤、俺は自分の才能を磨くこともせずに、他の人と違って自分は特別なんだと思い違いをしていた。

そして普通とは違う人生を歩みたいと思って音楽の道に戻ったが、実力が認められないのは聴く側の能力が低いから自分の歌の良さがわからないのだと思っていた。

 

 自分の歌の能力が低いから評価されないとは考えず、能力を磨くことをしなかった。

そうして何年も経つ間に、自分より才能がないと思っていたやつらが努力して実力を伸ばして、事務所に所属したりテレビに出たりするのを何度も見てきた。

 

でも、それでも俺は努力をする事はなく、そいつらのことをただ運がいいやつらとしか思っていなかった。

 

公務員の仕事に戻ってからもそうだった。

大学時代にバカだ低学歴だと見下していたやつらも、仕事で努力を積み重ねて俺よりはるかに先に進んでいた。

俺は何一つ進めることができなかった。

それもこれもすべて、自分の無駄なプライドや頑固さのせいだった。

 

悔しくて、悔しくて、やり直したい、、、」

 

遠藤は、大学を卒業してからの伊調をほとんど知らない。

最初の2,3年は同じ職場で働いてはいたが、人付き合いを好まない伊調が飲み会の場に顔を出すことはほとんどなく、二人で食事に行くことも時間と共に少なくなっていったからだ。

国家公務員だったころの伊調も、音楽の世界にいたころの伊調も、きっと身の丈に合わないプライドが自分自身の首を絞めていき、今の伊調を作ったのだろう。

 

遠藤はそう思いながらも、

「今からだってやり直せるさ。仕事は何をしてるんだ?どこに住んでいるんだ?」

と話を続けようとした。

しかし、伊調から答えが返ってくることはなかった。

 伊調は窓の外を見つめながら、また政治や社会への不満をぶつぶつとつぶやいていた。

遠藤のことが目に入らず、その声も聞こえていないかのようだった。

 

遠藤はしばらく声をかけていたが、伊調の独り言がまた大きくなり、周囲の目が自分にも向いていることを感じると、少し離れた席に座った。

 

 

目的の駅にはすぐに着いた。

席を立ち、電車を降りる直前にも伊調に声をかけて連絡先を聞いたが、伊調は独り言を続けるだけだった。

 

社会に対する不満のつぶやきを背に浴びながら、遠藤は電車を降りていった。